「悲願」という言葉がございます。これは悲壮な願い、是非とも達成しようと心に思っている願望という意味です。従って「彼岸」とは少し違うものですが、仏教徒である私達はこの、悲願の思いで「彼岸」(仏様の世界)へ渡れる様に努力していかねばなりません。
「六波羅密」という仏教の言葉があります。これは「彼岸」に到達するための六種の行(おこない)のことです。すなわち、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六種で、仏道を修行し悟りを得るために実践すべき事として示されております。これからその六種を簡単に説明してまいります。
人の為に尽くす、何かをしてあげること。
この布施で大切な事は、決して相手に見返りを求めないという事です。そうでないと不浄施といって、本来の布施ではなくなってしまいます。
先日の阪神大震災でのボランティア活動をテレビで御覧になられた方も多いと思いますが、あの姿こそが布施の浄行なのです。
私達が集団生活を営んでいく上でのルールや戒律を守ること。
仏教で説かれている有名なものには次の五つがあります。
これらの事は他から命令されて従うものではなく、自発的な戒として定められています。
迫害や侮辱に対し、耐え忍ぶこと。
決して人を怒ったり、恨んだりしないで、どんなに辛い事でも我慢するのが本当の勇気です。
「忍ぶこと、まさに橋の如くなるべし。橋は人に踏まれて人を渡せり」
という言葉がございます。時として怒りは爆発させるよりもこらえた後の方がすっきりするものです。お釈迦様は決して怒らなかったという事を学びましょう。
努力する事、励む事、努める事、持ち続ける事、即ち怠惰を克服する事です。
「継続は力なり」
「精出せば凍る暇無し水車」
などと、精進を勧める言葉も数多くございます。皆様がそれぞれのお仕事に励む事は勿論ですが、根本には「信仰」に努めることを覚えておいて下さい。
気持ちを落ちつかせ、何事にも心を乱されない状態の事です。
如来寿量品第十六(お自我偈)の中に「質直意柔軟」
とございます。質直とは素直な心、柔軟とは柔和で従順な心の事です。この気持ちを持って日々の生活を送り、時には自分自身を反省致しましょう。
学問や知識の事だけではなく、真実の智慧を得る事、つまり仏道に目覚める事です。
自分が仏様の世界に生かされているという事、又、自分の中の仏となる種(仏性)の存在に気付いて物事を正しく見、正しく考えられる人間になりたいものです。