活動報告

平成22年12月11日(土)

社教会

施設訪問

佐賀県社教会年間活動の一環として、楽団「小城ウィンドアンサンブル」と共に佐賀市北川副町光法 社会福祉法人つぼみ会特別養護老人ホーム「つぼみ荘」(施設長 吉原喜美子)を訪問した。

演奏に先立ち、世界平和、施設利用者の健康と寿命長久、つぼみ会の益々の繁栄を祈念して、日蓮宗修法師の出仕のもと、修法法楽加持が行われた。

その後、藤尾会長の挨拶があり、演奏が始まり、音楽会ではテレビでお馴染みのサザエさんや水戸黄門の主題歌、箱根八里の半次郎、上を向いて歩こう、など親しみのある曲ばかり

一時間にわたり演奏され、曲に合わせて体を揺らす人、手拍子をする人などの姿が見られた。

終了後、施設長より「楽しい時間を過ごさして頂きました」と挨拶があり、和やかなひと時を過ごした。

平成22年11月22日

社教会

県内研修

佐賀市(旅館あけぼの)に於いて、教師・寺庭婦人会合同の研修会を開催した。

講師として宮崎県立正寺住職森下恵裕師を迎へ「寺に相談に来た人への対応の仕方について」と題して研修会を行った。

不登校、引きこもり、統合失調症、うつ病などの具体例を挙げながらの解説でした。

また「お寺は人々の心の癒される所」を念頭に、話を良く聴き、安心を得てもらうことが大切であるという話だった。

参加者からは「悩みというより迷いに対応できる道場として、お寺を活用していきたい」という声が聞かれた。

平成22年11月7日

佐賀県護法大会唐津大会

来る、平成二十二年十一月七日(日)唐津くんちの余韻が残る唐津市民会館に於いて、平成二十二年度佐賀県護法大会が開催されます。この大会は過去四年間、佐賀地区、小城・三日月地区、杵藤・有田・伊万里地区、多久・唐津地区にて開催された地区研修道場の集大成となるもので佐賀県檀信徒一丸となりお題目の下に結集するものです。

宗門では、平成三十三年に迎える日蓮大聖人ご降誕八百年に向け「立正安国・お題目結縁運動」を展開し、「いのちに合掌」をスローガンに「合掌こそは、お釈迦様の理想の社会。お互いがお互いを敬いあい、いのちの尊さに気づくこと。お題目のご縁をいただく私たちが自ら人を敬い、いのちの尊さを人々に示し、社会を明るくすること」を目的に運動を進めています。

われわれ日蓮宗佐賀県の檀信徒もこの宗門の目的に沿うべく今回の護法大会のテーマを「立正安国・お題目結縁運動」―いのちに合掌―とし、お題目をお唱えすることはすべてのいのちを敬うことであり、私たちのいのちは両親からの初めてのプレゼントですので感謝し、輝かすことが大切です。

こうして皆様が一堂に会してお題目をお唱えすることは、たとえひとりひとりの力は小さくとも異体同心の気持ちで手を結び合い心を同じくするならば、必ずや大きなエネルギーとなります。お題目の心を家族に・まわりの人々に伝え私たちの社会を明るくより良い環境に変えてまいりましょう。

皆様のご参加を心よりお願いし、共にお題目をお唱えして合掌の輪を広げてまいりたいと存じます。

日蓮宗佐賀県護法唐津大会

平成二十二年十一月七日、日蓮宗佐賀県宗務所(小寺大誠所長)主催・日蓮宗佐賀県檀信徒協議会(森永新二会長)共催による、日蓮宗佐賀県護法唐津大会が、メインテーマを「立正安國・お題目血縁運動」サブテーマを「いのちに合掌」と題し、唐津市民会館を会場として開催された。これは過去四年、県内を佐賀地区、小城地区、杵藤・伊万里、有田地区・多久、唐津地区の四地区に分け、堅苦しくない親しみやすいミニ護法大会をということで始まった地区檀信徒研修道場の集大成として、約一年前より小寺所長を中心に会議や練習を重ね、当日は僧侶、寺庭婦人、檀信徒合わせて約千三百人近くが参加して行われた。

午後一時、小寺大誠佐賀県宗務所長は開会の辞で『今宗門が掲げている運動目標が「敬いの心で安穏な社会づくり、人づくり」であり、本日の参加者皆様が檀信徒のリーダーとして先頭に立って、各お寺・各ご家庭で一人でも多くの方に「お題目」を伝えて頂きたい。平成三十三年には日蓮大聖人御降誕八百年という大切な節目を迎えるにあたり、本日の大会を新たなる誓いの日として法華経・お題目をお唱えしましょう。』と述べ、その後宗歌が斉唱され、松島正英布教師会長による法話が行われた。終了後、大導師に小寺大誠佐賀県宗務所長、副導師に加藤智顕協議員議長・石井智俊協議員副議長を迎え、県内寺院総出仕のもと護法の祈り法要が厳修された。この法要は、シンセサイザーを伴奏に取り入れ和讃を奉納する音楽大法要で、法要中、唐津市・法蓮寺(藤山英周住職)檀徒の親子三世代による献香・献灯・献花も執り行われた。法要終了後、舞台暗転中に式衆が入れ替わり、籾井恵親修法師会長を修法導師として県内修法師による修法が行われた。その後、佐賀市・國相寺(松島正英住職)檀徒、西村昭子さんによる檀信徒代表の信仰体験談をお話し頂き、最後のプログラムである日青会行脚隊による唱題行が小寺所長を導師に行われ、会場も割れんばかりのお題目の声が響きわたった。最後に、森永新二檀信徒協議会会長の閉式の辞が述べられ、日青会行脚隊の唱題太鼓の中で参加の皆様をお送りし、無事に大会の幕を閉じた。

平成22年10月12日

池上本門寺御会式団参

日青会主催による「佐賀県日蓮宗青年会結成五〇周年記念・池上本門寺御会式団参」を行うこととなりました。十月十二日から十四日までの二泊三日の日程で、柴又帝釈天→皇居→池上本門寺(泊)→日光東照宮→華厳の滝→鬼怒川温泉(泊)→浅草寺を巡る予定です。旅行代金は七万九千円で八月三十一日(火)締め切りとなっております。

お問い合わせ先

◎菩提寺

◎トップツアー株式会社 佐賀支店

連絡先 担当者 古賀

電話○九五二-二六-一一三一

平成21年11月29日

『心にひびけお題目』

平成二十一年十一月二十九日午後二時より、多久・唐津地区檀信徒研修道場『護法の集い』が、メインテーマを「心にひびけお題目」と題し、唐津市法蓮寺(藤山英周住職)にて開催された。県内を四地区に分け行われている地区檀信徒研修道場も今回で四回目となり、今回は多久・唐津地区寺院が小寺亮伝(多久市・等覚寺住職)大会委員長を中心として会議を重ね、当日、僧侶・寺庭婦人・檀信徒合わせて約二百名近くが参加した。

小寺大会委員長の開会の辞の後、小寺大誠宗務所長、森永新二檀信徒協議会長の祝辞を頂いた。小寺所長は祝辞の中で「本日お題目のご縁によって集まられた皆様、今日の大会で得たものを生活のかてとして頂ければ幸いです。」と述べ、森永会長も同様に「今日の研修が皆様の信仰を深くするものになればありかたいです。」と述べた。

その後、静山是秀前布教師会長が「お題目と唱題の功徳」と題して法話が行われ、「唱題修行にはげみ、久遠本仏であるお釈迦様と一体となる、そのことを自覚することこそが最も大切であります。」と述べた。

休憩の後、宮本智昭師(多久市・妙海寺住職)を導師に約四十分唱題行が行われ、その後、藤山住職を導師とし、多久・唐津地区寺院総出仕のもと大会法要がおごそかに執り行われた。

最後に、地区護法常任委員である井上利夫(唐津市・億昌寺総代)氏が「私達檀信徒は、法華経の正しい信仰者としての誇りと責任を自覚し、宗祖の異体同心の教えを守り、お寺の繁栄とご住職の護法活動のお手伝いをし、信仰生活を身をもって子孫に示し、末代まで信仰が続くよう勤めます。」と参加者を代表して誓いの言葉を述べ、藤山住職が参加者に対しお礼の言葉を述べて無事に大会の幕を閉じた。

平成21年11月10日

『いのち輝く〜こうのとりのゆりかご』

日蓮宗佐賀県宗務所と佐賀県教化センター共催により、11月10日佐賀市のグランデはがくれにて「県内教師・寺庭婦人・檀信徒研修会」が開催された。熊本市・慈恵病院蓮田太二理事長・同院田尻由貴子看護師長を講師に迎え、『いのち輝く〜こうのとりのゆりかご』と題し、約2時間に亘り講演があった。

『立正安国・お題目結縁運動』も実動に入り、宗門挙げて様々な活動が展開されており、運動の一つの柱、「いのちに合掌」をテーマとした研修会と云う主旨で開催された。毎年3万人を超す人々が自ら命を絶つ、一方では生れてくるはずの33万人を超す命が、人工妊娠中絶と云う現実がある今日。医療の現場で、日々命の重さと向き合って活動されている、両氏に宗教の枠を超えてお話し頂いた。

慈恵病院の母体となる施設は、カトリック司祭のジャン・マリー・コール神父により明治29年に設立され、昭和五十三年に現在の慈恵病院となり、主に産婦人科医療に力を注いできた。そういう中、熊本で三人の新生児が続けて捨てられ、うち二人が死亡すると云う事件が起こり、蓮田先生は『こうのとりのゆりかご』を立ち上げる決心をされた。しかし、当時の総理大臣を始めとする反対意見が数多く上がる等困難を極めたが、平成十九年四月熊本市より設置許可かおり同年五月運用が開始された。ゆりかごに預けられた赤ちゃんは、十九年度は十七名・二十年度は二十五名、遠くは関東地方から預けられたケースが十件に上った。両氏によると『こうのとりのゆりかご』の本来の目的は”事前相談”であり、そこでは様々な社会的な課題がみえてきたと云う。性行為の低年齢化・若年層の人工妊娠中絶の増加・自己責任の欠如・児童虐待数の増加・家族のきずなの薄弱・社会的育児支援の貧困・・・。現場でないと知りえない話を聞くにつれ、改めて厳しい現状を突きつけられた思いがした。

宗祖日蓮大聖人は、大衆の苦しみを自身の苦しみとして憂われ、法華経による仏国土顕現に生涯を捧げられた。混迷を極めた現代に「二陣三陣続けよがし」との宗祖のお言葉を再認識させられた講演会であった。

最後に松野邦俊教化センター長が、お互いに異なる宗教観を内包してのお話で、貴重な講演を頂いた事に感謝の言葉を申し述べた。また参加の檀信徒に対して、いのちの貴さを家庭で地域で伝えて欲しい、と結び研修会を終了した。

平成21年10月26日

身延・京都団参

日蓮宗では、平成三十三年に「日蓮聖人御降誕八〇〇年」を迎えるにあたり、『立正安国・お題目結縁運動』が展開されています。その重点項目の一つに「祖山総登詣」の実践が掲げられています。

また本年は、「立正安国論奏進七五〇年」の節目であり、それを慶讃して京都国立博物館にて『日蓮と法華の名宝』と題し展覧会が開催されます。

この好機に日蓮宗佐賀県宗務所では、以下の要領で鎌倉・身延山・京都への団参が企画されました。檀信徒の皆様には一人でも多くの方にご参加戴きますようあらためてここに主な訪問地を紹介致します。

【鎌倉・妙本寺】

妙本寺は、日蓮聖人御自ら聞かれた最初の法草堂に始まる。弟子の日朗上人はその後を継いで妙本寺の基礎を固め、鎌倉を中心に各地に教えを弘めた。七百有余年の歴史を物語るように、鎌倉市街からほど近くにありながら、境内は静寂なたたずまいを見せている。

【身延山・久遠寺】

日蓮宗総本山、宗祖棲神の地であり「祖山」とも称する。晩年の九年間を過ごされた身延での檀信徒へあてた書状の大部分は、教化に関するものであり、現存するご真筆のご本尊百二十余幅中、実に百十四幅が身延でのご染筆である。弘安四年十一月二十四日に開堂供養・寺号公称された。同五年十月十三日の宗祖ご入滅後、「いづくにて死に候とも墓をばみのぶ澤にさせ候べく候」とのご遺命により、ご遺骨は身延山に納められた。以後数度の災害に見舞われたものの、近現代の大復興はめざましく、本年は五重塔の落慶もみた。

【本法寺】

一四三六(永享八年)「鍋かむり日親」として知られる日親上人により創建された。天文法乱により一時堺に退避したが、一条堀川に再建された。京都旧市内では唯一の多宝塔をはじめ、本阿弥光悦・長谷川等伯筆の書画が多く格護されている。

【日蓮と法華の名宝】

~華ひらく京都町衆文化~

本展覧会は「立正安国論」を軸に、京都十六本山を中心とした諸寺伝来の多くの宝物を一堂に展観します。鎌倉新仏教の一興を担った日蓮の足跡をたどり、その門下の活躍、特に孫弟子にあたる日像の京都布教開始以降、公家文化と並ぶ町衆文化の形成に果たした日蓮諸宗の大きな役割を紹介します。狩野元信や長谷川等伯、本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、尾形乾山、こうした近世日本美術の潮流を築いた京都の芸術家達が、皆、法華の信者だったことは驚くべきことではないでしょうか。かれら名家の優品を通じて、日蓮諸宗と法華経信仰に支えられた京都町衆文化の奥の深さを再認識していただければと思います。

展覧会パンフレットより

〔団参要領〕

・実施日時

平成二十一年十月二十六〜二十九日

・旅行代金

十万四千円

・募集締切日

八月三十一日

・申し込み先

日蓮宗佐賀県寺院(菩提寺)

トップツアー(株)佐賀支店

身延・京都団参

◎一日目

日蓮宗佐賀県宗務所企画による「身延・京都団参」が昨年十月二十六日〜二十九日・三泊四日の日程で開催された。

二十六日朝早く各地よりバスに乗り込み、朝七時に福岡空港に集合した。空路東京羽田空港に到着すると、あいにくのお天気であったが二百五十六名の団員と共にバス五台に乗り込み、一路鎌倉妙本寺へと向かった。途中、朝比奈峠を左右に身体を揺られながら、鶴岡八幡宮の桜並木表参道を通り、大雨の中、皆傘をさして妙本寺の祖師堂に到着。祖師堂に於いて、妙本寺貫首・早水日秀猊下より、

「私も実は小城町出身で・・・・」

と親しみをこめて有り難い御挨拶を賜り、その後御開帳いただいた。それぞれにバスに戻り、この日の宿泊地・身延へと向かった。

山梨県身延町へ入り、総門をくぐり、三門を拝見し、身延の宿坊には日も暮れた十九時くらいの到着となった。到着してすぐ食事を頂き、次の日の総本山朝勤・祖山総登詣輪番法要参加のため、早々と床に就いた。

◎二日目

朝四時三十分に起床し五時十五分に宿坊を出発、総本山の西谷をゆっくりと登詣し朝六時から始まる朝勤に団員一同出仕した。

前日の雨が嘘のような、好天に恵まれ、九時から始まる祖山総登詣輪番法要までの時間を大客殿で過ごし、いよいよその時間がやってきた。

内野日総法主貌下を団員一同お題目をお唱えしながらお迎えし、法主猊下より団長・佐賀県宗務所長小寺大誠上人に委嘱の儀(輪番導師に任じられ)が執り行われ総登詣輪番法要が始まった。

式次第の中で、団員を代表し小寺所長より総本山御本尊・日蓮大聖人に、「佐賀県檀信徒とともに祖山総登詣の機会に恵まれ、お題目を唱え御報恩に供え、御給仕出来る感激と霊山の契りを永遠に銘記し、寺檀一致して宗門を護持し、広宣流布に勤めて参ります。」との誓いの詞を宣言され、その後団員に対し「共に精進致しましょう」と挨拶をいただき、大本堂での輪番法要がとどこおりなく無事終了した。団長始め、団員一同、心に感動と感銘を受けた貴重な時間となった。

その後、御真骨堂に参拝し並びに昨年百三十三年ぶりに創建当時の姿で復元建立された五重塔を拝見し、御廟所へと向かった。日蓮大聖人の墓前にて寺庭婦人と檀信徒有志により法華和讃が奉納された。

◎三日目

朝から非常に天気が良く、日中は汗ばむ程の気温になった三日目は、今回の団参のもう一つの柱である「日蓮と法華の名宝展」が開催されている京都への移動から始まった。

好天のおかげで、移動の車中は、各所の様々な景色や建物を堪能することができ、気分良く京都へ入ることができた。

西陣織会館での昼食後は、「日蓮と法華の名宝展」に協賛した各宗本山を巡ることとなっており、まず最初に本門法華宗の妙蓮寺を訪れた。

いわゆる日蓮宗でないお寺にお参りし、ご開帳を受けるというのは、あまりないからであったためか、最初は妙蓮寺の微妙に違うお経の上げ方に戸惑いもみられた。しかし、途中で南無妙法蓮華経の音が聞こえ始めると、全員が一緒にお題目を唱える声が本堂に響き渡り、やはり私達はお題目で繋がっているのだと、改めて強く感じることができた。

次にお参りをした日蓮宗の本法寺は、大通りを隔てたすぐ近くにあり、そのまま徒歩で移動することができた。これほどまでに大きなお寺同士が、こんなに近くあるというのは、まさに”京都ならでは”ではないだろうか。

本法寺では、長谷川等伯の作品や、座った形の四菩薩像などの様々な宝物に加え、宝物殿まであり、見所が満載すぎて時間が足りないという人が続出した。

三日目の最後にお参りしたのは、顕本法華宗の妙満寺であった。比叡山が見える所に建てられたお寺ということだったので、到着した夕方頃には、境内から暮れなずむ比叡の山々を見ることができた。忙しい最中であったお寺の方々がおもてなしをして下さり、長時間のバス移動で疲れた檀信徒も、おいしいお茶と雄大な景色にホツとしているようであった。

最後の夜は、琵琶湖のそばの雄琴温泉に宿泊し、団参中の様々な縁を語り合い、楽しい時間を過ごすことができた。

◎四日目

身延・京都団参の最終日は、「日蓮と法華の名宝展」を拝観した。宿を出発し、そのまま京都国立博物館へ。開館前に到着したが、既に入り口には行列があり、入る前からより一層期待が高まることとなった。

中に入ると、その期待を裏切ることなく、二百点にも及ぶ展示品が、日蓮門下の人々の歴史を、京都の歴史を、私達に雄弁に語ってくれた。

特に、日蓮大聖人がお書きになられた、国宝・立正安国論は、鎌倉時代に生きられた大聖人と私達を、お題目へとつなぐ架け橋であり、多くの人々がその前で歩みを止め、濃密な時間を過ごしているようであった。

また、国立博物館の近くには、三十三間堂などの観光スポットも多々あり、時間まで自由に京都を楽しむことができた。

京都駅からの新幹線の中では、さすがに疲れた人が多かったようで、博多に着くまで目を覚まさない人もいたようである。博多駅でそれぞれのバスに別れて帰路につき、三泊四日の身延・京都団参は無事解散と相成った。

今回の団参では、日蓮大聖人の信仰の根本である身延山と、その教えが華開く京都へとお参りをした。少々長い日程ではあっただろうが、その旅の道程は、まさにお題目信仰が辿った道であり、団参参加者はこれまで以上に歴史を感じ、先人に感謝したことであろう。私達はこの感謝の気持ちを「南無妙法蓮華経」のお題目で、伝えていかなければならない。

平成21年7月5日

「立正安国論」奏進七五〇年御正当法要並、檀信徒協議会総会

去る七月五日、小城市松尾山護国光勝寺に於いて、僧侶及び檀信徒あわせ約二五〇名の参加者を得、「立正安国論」奏進七五〇年御正当法要並、檀信徒協議会総会が佐賀県宗務所主催にて行われた。

「立正安国論」奏進七五〇年御正当法要では、大導師に本山光勝寺貫首平井日延貌下、副導師に宗務所長小寺大誠僧正、協議員議長加藤智顕僧正、式衆に声明師会各師の出仕にて厳かに執り行われた。法要の始めに日蓮宗宗務総長の宣言文『七百五十年前「立正安国論」に込められた日蓮聖人の祈りは、今や万民の祈りとなり、世界全土、全人類共通の切なる願いでもあります。久遠のご本仏釈尊が、正しい教えが滅する末法の時代と、生命ある全てのもののためにお遺し下さいました真実の教え「妙法蓮華経」は、今を生きる人々にとって唯一の希望であり、闇夜を照らす大燈明であることを、宗祖日蓮大聖人はお示し下さりました。

私どもは今日、此の時、ここに於いて七百五十年前に発せられた宗祖の御心に異体同心し、「信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば即ち三界は皆仏国なり」のメッセージが、現代人のみならず、未来を継ぐあらゆる人々と、全ての国土に行き渡る事を祈ります。

そして、私どもは個々の成仏から全体の成仏を願い、世界全体の幸福なくして我身の安堵はあり得ない事を力強く表明し、御仏の慈愛とお導きによって生かされる「真の仏子」として万民の祈りを形となし、御仏の大慈大悲の教えが日輪の如く益々輝きを増し広く伝わり、あらゆる国土が正しい教えを受け持つ人々によって安穏なる世を築かんことを念じ、人々の願いを実現する立正安国の大道を歩まんことを誓願致します。』を小寺大誠宗務所長が代読。

法要中に、本山光勝寺貫首平井日延貌下が、本堂御宝前の国宝「立正安国論」復刻版を拝し、『日蓮大聖人が正しい仏法の信仰が広まり、穏やかに治まる国家の実現を願い「立正安国論」を前執権北条時頼に奏進されましたが、聞き入れてもらえなかったが為、深刻な災難に衆生の苦しみは止まるところを知らなかった。今現在も地球人類全体が異常な危機に遭遇し、日蓮大聖人の深遠さを思う。』と、高らかに表白文を読み上げられた。

法要終了後、布教師会会長松島正英上人による記念法話で、「立正安国論」を用いて(法華経信仰の大切さ)(命の尊さ)(相手を思う気持ち、相手に対する合掌)など、解りやすい話に檀信徒も熱心に聞き入っていた。

昼食後には、檀信徒協議会総会にて、

○第五十六回全国檀信徒協議会の報告

○平成二十年度事業報告・決算書報告

○平成二十一年度事業計画・予算書報告

が行われた後、無事閉会を迎えた。

平成20年10月19日

いのちに合掌

昨年十月十九日、杵藤・有田・伊万里地区檀信徒研修道場『護法の集い』が、メインテーマを「立正安国・お題目結縁運動」、サブテーマとして「いのちに合掌」と題し、武雄市円満寺(池氷英寛住職)にて開催された。県内を四地区に分け、堅苦しくない親しみやすいミニ護法大会をということで始まった地区檀信徒研修道場も今回で三回目となり、今回は杵藤・有田・伊万里地区寺院が約一年前より池永実行委員長を中心として会議を重ね、当日、僧侶・寺庭婦人・檀信徒合わせて約二百名近くが参加した。

原田守檀信徒協議会委員の開会の辞の後、藤山英周伝道担当事務長、森永新二檀信徒協議会会長の挨拶を頂き、地区寺庭婦人・檀信徒による法華和讃が奉納された。その後池永住職を導師に、地区寺院全員出仕のもと、法要が行われた。

法要後、梶原北天師(長崎県實相寺住職)の法話が行われ、自分がお寺に生まれ僧侶となるまでに頂いたご縁、僧侶となり今日に至るまでに頂いたご縁のありがたさを、ユーモアを交えながら分かりやすく話した。「現在は、人の命の尊さを分からない人達がたくさんいるような乱れた世の中、物はあふれていても、心が貧しい世の中になっています。それを正しい方向へ導くには私達僧侶と、檀信徒の皆様が一体となって、一人でも多くの人に仏さまの教えを聞いて頂くご縁を結んでいくことが大切なのです。そうすれば、命の尊さを知ることのできる立正安国の世界ヘー歩でも近づくことができるのです。これからも命に合掌しお題目修行に励んで参りましょう」と結び、伊万里妙顕寺檀信徒石井繁慶様の閉会の辞で幕を閉じた。

また、当日檀信徒により集められた義援金が、日蓮宗佐賀県社会教化事業協会によって被災地に送られた。

尚、今年は十一月二十九日(日)唐津・法蓮寺席にて多久唐津地区檀信徒研修道場が開催されます。

平成19年11月22日

「松尾山の新しい貫首様決まる」

昨年十一月二十二日、鎮西本山・松尾山光勝寺(小城町)に於て、晋山式が執り行われました。平成五年十二月より第六十二世貫首として護山護持に精励されました田中日学猊下(光旭寺前住職)が体調不良の為退隠され、それに伴い第六十三世として平井日延猊下(泰教寺住職)が晋山されたものです。

平成19年10月14日

つなげよう!お題目のタスキ

昨年十月十四日、小城・三日月地区檀信徒研修道場・護法の集いが、『つなげよう!・お題目のタスキ』をテーマに、小城町光勝寺にて開催されました。佐賀県内を四地区に分けて始まった地区別の檀信徒研修道場も、前回の佐賀地区に続き第二回目となります。三十二の地区寺院が一年前から話し合いを重ね、僧侶・寺庭婦人・檀信徒合わせて、二百名を越す参加となりました。

友永正淳実行委員長(妙厳寺住職)より参加の檀信徒の皆様へ、「親から子へ、子から孫へお題目のタスキをつないでください」との挨拶があり開式。

和讃奉納後、法要に入り参加の子ども達がご本尊へ献灯・献香・献花を行いました。更に武藤亮平君・杉野綾香さんが「七百年以上伝えられた教えを守り、伝えることをお釈迦様・日蓮聖人にお誓いします」と力強く宣言しました。

法要後、田中英康師(光旭寺住職)より法話が行われた。師僧より教えていただいたと云うご先祖様の数をユーモア溢れる口調で説明、いかに私達の命が貴重で有難いものなのか、そしてその命を全うするためにはお題目をお唱えすることが大事である。

参加の子ども達に分かるようにとのお話でした。

今回の大会は子ども達の参加が多く、ほのぼのとした雰囲気が溢れる大会でした。今回参加した子ども達が本当にタスキを受け取るかどうか。「つなげよう!お題目のタスキ」のテーマは今日で終わりでなく、永遠のテーマであります。

次回は、杵藤・伊万里・有田地区にて行われ、十月十九日・武雄市円満寺にて開催予定です。

平成19年10月14日

小城・三日月地区檀信徒研修道場「護法の集い」

つなげよう!お題目のタスキ

平成18年11月15日

広島団体参拝団御案内

日蓮宗佐賀県青年会では、下記の要領で団参を実施致します。

御誘い合わせの上、ふるって御参加下さい。

平成18年10月22日

佐賀地区檀信徒研修道場「護法の集い」

今まで二年に一度開催されていた全県的な「護法大会」が四年に一度の開催となり、そのかわり佐賀地区・小城地区・杵藤地区・多久唐津地区の四地区において毎年順番に開催されることとなった。

その第一回目として平成十八年十月二十二日、佐賀市妙玉寺を会場に日蓮宗佐賀県宗務所主催・佐賀地区寺院共催により教師・寺庭婦人・檀信徒約百八十名が参加し佐賀地区檀信徒研修道場「護法の集い」が開催された。

午後一時三十分、陣内元良上人による開会の辞に始まり、日蓮宗佐賀県宗務所小寺大誠所長より「テーマの『立正安国・お題目結縁運動』は檀信徒だけでなく、未信徒や次世代へのお題目信仰のアプローチである」と言われ、今回の佐賀地区檀信徒研修道場開催の意義を説明された。続いて平井照山日蓮宗宗会議長より祝辞が述べられた。

法要に先立って、佐賀地区寺庭婦人による法華和讃の奉納があり、息のあった団扇太鼓の音、和讃の声が堂内に響きわたった。

法要は導師を妙玉寺住職石井智俊上人が勤め、式衆に佐賀地区寺院の各上人が出仕して執り行なわれました。今回のサブテーマ「家庭信行──みんなで拝まんば」の下、教師・寺庭婦人・檀信徒が一体となり、堂内にお経・お題目の大きな声が響きわたる法要となりました。

法要終了後、布教師会長静山是秀上人より日蓮大聖人の「立正安国論」についてのお話があり、続いて松島正英上人は「命の尊厳」をテーマにお話され、最後に国相寺の総代でもある石村萬盛堂社長石村善悟氏による信仰体験のお話があった。

休憩を挟んで仏教への質問(Q&A)では、檀信徒からお寺への質問で「お寺のご住職や奥様を何とお呼びすればいいのですか」などの質問がよせられました。

また、清興では、佐賀ユーモア協会にわか部会による「佐賀にわか」が演じられ、大いに盛り上がった。

最後に、今大会の実行委員長である石井智俊上人が「佐賀地区檀信徒研修道場『護法の集い』は、初めて地区による檀信徒研修道場でしたが宗務所・佐賀地区寺院のご協力を得て無事に終えることが出来ました。檀信徒の皆様には、お題目信仰を家庭の中から広げ、深めて頂きたい」と謝辞を述べられ、古賀俊完上人による閉会の辞で、今大会を結ばれました。

参加者一同は「立正安国」を目指して、尚一層のお題目信仰に精進して行くことを誓い散会致しました。

平成18年9月5日

《九州教区檀信徒研修道場》

九月五〜六日に長崎県川棚・常在寺を主会場に九州教区檀信徒研修道場が開催され、九州各地より百十五名(佐賀県より十五名)が参加した。

はじめに、主催である九州教区長・塩田町学成院住職小寺大誠師より挨拶があり、引き続き講義に入った。講師には、元日蓮宗現代宗教研究所主任 赤堀正明上人を迎え、「今 なぜ 立正安国」と題し、宗門が提唱する『立正安国 お題目結縁運動』の基礎である「立正安国」「お題目」についての講義が行われた。質疑応答の時間がなくなるほどの熱心な講義に心うたれ、参加者の多くは家庭や菩提寺での更なる信心を口にしていた。来年は大分県にて開催予定である。

平成18年7月2日

《寺院総代統一信行会》

七月二日、小城市の本山光勝寺にて佐賀県宗務所主催により「寺院総代統一信行会」が開催され、県内各寺院より教師・総代約百五十名が参加し、講演・唱題行等が行われた。

講師に、福岡県實成寺住職 福岡県布教師会長中村雅輝上人を迎え、『ご本尊』についての講演が行われた。ご遺文『日女御前御返事』をもとに、大曼荼羅列座の佛・菩薩・諸天善神等全て南無妙法蓮華経の光明に照らされ本尊となり、闇の燈の如く導くものである。しかし頂く私達に心から信じる気持ちがなければ、その世界に入ることは出来ない。総代として、寺院運営だけではなく信仰においても各寺のリーダーであるよう日々の信心を勧められ話を結ばれた。

平成18年4月28日

《婦人部統一信行会》

四月二十八日、小城市の本山光勝寺にて佐賀県宗務所主催により婦人部統一信行会が開催された。これには、県内各寺院より教師・寺庭婦人・助成檀信徒約百五十名が参加し、開会行事に引き続き講演・和讃研修が行われた。

午前中の講演には、大分県妙経寺住職建光行上人より、女性の特性を生かした家族や信仰へのアプローチについてのお話があった。ご自身の幼い頃の事に触れられ、次のような逸話を紹介された。学校に友人が、芋を弁当として持ってきたことがあった。その芋が、弁当箱の蓋を開けた途端、床に転がり先頭になって上人が笑ったそうである。普段は優しい担任の先生が、涙をいっぱいにためて叱られた。また家に帰ってからは、同様に母親からも涙ながらに叩かれたそうである。二人の涙こそが、仏性(仏様)である、日常の生活の中で私達は本来、自然と優しさを身につけることが出来るのだが、余りにも現代社会は多忙を極め、心の中の仏性を育む事が出来ない人が多い。日常の中で、個人の幸せではなく全体の幸せ、今の幸せでなく未来の幸せを考え信仰に励んで欲しい。日蓮大聖人「二陣三陣続けよかし」とお示しの通り、お題目修行をお勧めされ講演を結ばれた。

平成17年11月16日

日蓮宗佐賀県青年会 終戦60年戦没者慰霊沖縄団参報告

私たち日蓮宗佐賀県青年会は平成十七年十一月十六日から十八日まで二泊三日の日程で、四八名の団員とともに団参を行いました。今年が終戦六十年であることから、沖縄の地で戦没者慰霊法要を目的とした沖縄団参を企画しました。

まず沖縄へ出発する前に福岡空港で結団式を行い、二泊三日の間何事もなく無事団参を終える事を誓い、同行する青年会員の紹介の後、福岡空港を飛び立ち、一路那覇空港へ出発しました。

最初にひめゆりの塔を訪れました。ここは看護要員として沖縄県立第一高等女学校と沖縄県師範学校女子部の教師と生徒二一九人により編成された「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔であります。陸軍病院本部壕で献身的な看護活動に従事しておりましたが、直撃弾が落ち多数の犠牲者が出ました。助かったひめゆり学徒隊も荒崎海岸に追い詰められ、米軍の捕虜になる事を恐れて手榴弾で自決したと伝えられています。私たちはここで戦争の恐ろしさ、歴史を目の当たりにしました。

続いて平和祈念公園のホールで慰霊法要を行いました。?(きん)座の引?(きん)一打により、参加者全員の気持ちが一つになり、如来寿量品第十六をお唱えしながら、お一人お一人が御宝前に献花を捧げていただいている姿を拝見しておりますと、沖縄の歴史の重さや、戦争と平和の問題、戦没者を偲ぶ心、そういうものが脳裏に浮かび、胸を打たれました。

回向文のなかで『時の日本海軍司令官、僧籍にありし太田中将は、昭和天皇に対し、「沖縄県民かく戦えり。後世に於いて沖縄県民に対し格別のご高配を賜らんことを」との最後の電文を送り、玉砕さると聴く。』と唱えましたように、沖縄戦で犠牲になったという二十三万六千人の人々、犠牲にならずとも戦争経験者は多数おり、沖縄県民は戦争とのかかわりがない人はいないと言うくらい、精神的にも肉体的にも傷を負っている。今回その傷をすこしでも癒して差し上げられたらという思いで法要に臨みました。今回の法要により、魂が慰められることを願ってやみません。

その後、沖縄の日蓮宗寺院である法華経寺で御開帳を受け、妙徳寺を参拝させていただきました。

二目目、三日目は、「沖縄美ら海水族館」「沖縄フルーツランド」「万座毛」「琉球村」「首里城・守札門」など沖縄特有の大自然や風土を満喫し、充実した日程となりました。特に首里城は世界遺産として認定されており、中でも正殿は三層で城内最大規模の建物であり、琉球王国の王が政治や重要な年中行事を行う場所として使われていました。屋根の龍頭棟飾や龍の文様、朱を中心としたきらびやかな色彩は中国の影響を受け、構造形式や正面の屋根は日本の影響を受けているとされています。また守礼門は「守礼之邦」の額が掲げられている首里城の第二の坊門で、「守礼之邦」とは平和の民として沖縄を象徴しており、琉球国王の即位を認定する中国の使者を迎えるために創建されたといわれています。

以上、二泊三日の限られた時間でしたが、沖縄の歴史・自然・文化とふれあうことができ、団員一同何事もなく無事に帰ってこられたことに感謝致します。

日蓮宗佐賀県青年会

平成16年11月28日

日蓮宗佐賀県護法武雄大会

澄みきった晩秋の青空のもと、平成十六年十一月二十八日、日蓮宗佐賀県宗務所・護法護持会主催により武雄市文化会館に約千五百名の僧侶、檀信徒が集い「日蓮宗佐賀県護法武雄大会」が開催されました。

午前十時から第一部、団扇太鼓に先導された玄題旗・宗旗が入場し、日蓮宗佐賀県檀信徒協議会会長古川秀次氏の開会宣言が行なわれ、寺庭婦人の発声のもと宗歌斉唱がなされ、護法の祈り音楽大法要の開始となりました。

大導師に日蓮宗佐賀県宗務所小寺大誠所長を仰ぎ、副導師として協議員議長加藤智顕上人、協議員副議長石井智俊上人、社教会会長藤尾成能上人、布教師会会長静山是秀上人が勤め、式衆に声明師会会長藤本宣文上人を始め、県内の各上人が出仕し、厳かに執り行なわれました。また、今回は、式中随処にわたり、矢吹紫帆様のシンセサイザーの演奏が加わり、華やかな感動あふれる素晴らしい音楽大法要となりました。

この度の法要では、「伝える」(唱え、持ち、伝えよう)のテーマの下、法要に檀信徒の皆様に参加して頂きました。

まず、供養の儀では世代別に献香・献灯・献華が執り行われ、また、自我偈読経中に、子供たち五十五名が奉持した灯火が会場内を照らし、御宝前に献灯して「妙」の一字を浮かび上がらせました。さらに、子供達を代表して蒲池正浩君、藤本郁子さん両名によって誓いの言葉を御宝前に奉げました。

法要終了後、県内寺庭婦人会・檀信徒による法華和讃の奉納があり、一糸乱れぬ息のあった団扇太鼓の音、和讃の声に会場内の皆様は聞き入っておられました。

続いて、修法師会会長鶴孝澄上人導師の下県内修法師により御宝前修法と大衆法楽加持がなされ、立正平和の祈念と檀信徒の信力増進の祈念が行なわれました。

昼食を挟んで午後一時から第二部清興が行なわれ、本年で結成三十周年を迎える日蓮宗佐賀県青年会雅楽部よる雅楽の演奏を披露しました。

まず、青年会雅楽部部長前田智憲上人より雅楽の説明や楽器の紹介があり、各楽器の音色や式中外の初めての雅楽の演奏に会場内の檀信徒の皆様も改めて雅らかな音色に感銘を受けておられました。

続いて、第一部の護法の祈りの法要にも参加して頂いた矢吹紫帆様のシンセサイザーのコンサートが開かれ、癒しの演奏に会場も一体となり大いに盛り上がりました。

最後に宗務所長のもと青年会行脚隊・寺庭婦人会の団扇太鼓と共に会場も割れんばかりの唱題行、お題目の声が響きわたりました。

私達は次の世代に「伝える」との信念で、尚一層のお題目信仰に精進して行かなくてはなりません。

平成14年4月14日

宗祖日蓮大聖人立教開宗七五〇年慶讃結願大法要護法団参報告

去る四月二十一日から二十三日までの二泊三日の日程で、佐賀県宗務所主催の立教開宗七五〇年慶讃結願大法要護法団参が実施され、小寺大誠宗務所長を団長として県内より四〇名の参加を得、身延山久遠寺に於ける慶讃結願大法要に参拝する事が出来、大変意義ある団参となりました。

一日目は、早朝に佐賀空港を立ち東京へ向い、大聖人のご入滅の霊場、池上本門寺に参拝。昼食後大堂に於いて御開帳を受け、その後、一日目の宿である下部温泉のホテル守田へ向いました。

二日目は、結願大法要を祝うかの様に素晴らしい晴天になりました。朝食後にホテルを出発し、祖山久遠寺に向いました。

久遠寺の山門に着くと団扇太鼓と共に「南無妙法蓮華経」のお題目の声が身延の山に響き渡っていました。

まず、御草庵跡と大聖人の御廟所前拝殿で小寺所長導師のもと団員一同で声高らかにお題目をお唱え致しました。その後、大本堂まで登り早めの昼食を頂き、法要に備えました。

世界各国、日本各地から三千五百人以上の僧侶・檀信徒が集まり、大本堂・祖師堂・大本堂前のテントは人に埋め尽くされ身動きも出来ない程でした。十二時半に大本堂に入り、幸いにも最前列に座ることが出来、徐々に緊張感が高まる中、大法要の開式を待ちました。

大本堂に響き渡る大太鼓に合わせお題目を唱える中、大導師の藤井日光管長猊下をはじめ式衆が入堂し、開会宣言にて結願大法要が始まり、読経のあと檀信徒の代表による献香・献華・献灯が行われました。藤井管長猊下は慶讃文で慶讃事業の円成を奉告され、結願という千載一遇の法悦に出会えた事を悦ぶと共に、混迷を極める現代社会で、立正安国・成仏国土顕現達成に精進する事を誓願されました。誓いの言葉では、日蓮宗信徒青年会の池上さんが、法華経のみ教えを異体同心して全世界に伝える事を誓われました。藤井管長猊下の御経頂戴に、参列者は低頭し手を合わせました。その後、祝辞や謝辞があり、閉会宣言をし感動の中に終了しました。

法要終了後久遠寺をあとにし富士五湖の一つ本栖湖を通り、富士駅に向う車中で、団長である小寺所長は団参参加の御礼と「祖山で行われた結願大法要に参列出来た事は感慨無量の悦びであり、祖願達成の為、尚一層のお題目信仰にご精進頂きますよう」と挨拶されました。富士駅に着き、さくらで佐賀へと帰路に着きました。以上二泊三日の大変な日程でしたが、法要に参列した団員一同は大法要に感激し、お題目を広め伝える「誓願」に邁進することを誓いあいました。

平成13年10月30日

日蓮宗佐賀県青年会よりのお知らせ

この度青年会では「九州名刹参拝団」(九州団参)を、左記の如く企画しております。お一人でも多くの皆様のご参加を心よりお願い申し上げます。

平成13年3月29日

立教開宗七五〇年慶讃清澄寺団参無事円成

去る三月二十九日から三十一日までの二泊三日の日程で、佐賀県宗務所主催の立教開宗七五〇年慶讃清澄寺団参が実施され、小寺大誠宗務所長が団長となり、県内より二四〇名の団員の参加を得、今回の団参の目的である、日蓮大聖人立教開宗の聖地、清澄寺に於ける慶讃法要を団員と共に感激深い素晴らしい法要を勤め、所期の目的を達成する事が出来、意義ある団参となりました。

二十九日の一目目は、早朝より佐賀空港を立ち東京へ向い、大聖人入滅の霊場、池上本門寺に参拝。大堂改修工事の為に祖師像が本院二階に遷座されており、普段では目のあたりに出来ない大聖人を間近に拝顔する事が出来、感激も一入でした。御開帳が終わり昼食を頂き目的地清澄寺へ向いました。清澄寺に到着してすぐ目に入ったのが、此の度の慶讃事業で宗門が建立した研修会館でした。この研修会館は地下一階地上三階建ての立派な建物で研修道場を初め二つの研修室、大小二十の和室の部屋があり二百名が宿泊出来るという目を見張るものでした。この日は、この会館に宿泊、明日の御来光並に慶讃法要に備え早めの就寝となりました。

三十日の二日目、午前四時半に起床。天候は曇空で、ご来光が拝めるか一末の不安をかかえる中、旭ヶ森に登り、日蓮大聖人のお銅像の前で団員一同声高らかにお題目をお唱え致しました。大聖人が我々の思いを聞き入れて下さったのか雲のすき間から、見事なご来光を仰ぐ事が出来、只々感謝の気持ちで一杯でした。

朝食後お題目写経を研修道場に於いて全員行いました。

写経後、清澄寺祖師堂に於いて今回の最大の目的である立教開宗七五〇年慶讃法要となり、徐々に緊張感が高まって参りました。小寺所長導師のもと副導師に宗務担当事務長、本村孝弘上人、協議員議長、鶴孝澄上人お二人が勤め、他八名の式衆の出座により盛大に執り行なわれました。団員一同、お堂に響き渡るお経の声を拝し、七百五十年の歴史を脳裏に浮かべながら大聖人の遺徳を偲んでいました。

また、法要の中で寺庭婦人・檀信徒による法華和讃の奉納があり、清澄寺で聞く息のぴったり合った和讃奉納は一際素晴らしく、大聖人が笑んでおられるお姿が目に浮かぶ程の感動でありました。小寺所長は挨拶の中で「大聖人が、この立教開宗の聖地清澄でお唱えになられたお題目を私達がしっかりと受けとめ、子に孫に、又未信徒の方々までにも伝えていく使命があります」と立教開宗七五〇年を迎えるにあたり私達に「伝える」事の大事さを戒めて頂きました。ここに見事に此の度の団参の目的が達成円成し感無量の感激を団長始め、団員皆がかみしめました。

法要終了後清澄寺を後に、大聖人御年四十三歳、小松原ご法難の霊場鏡忍寺へ向いました。この鏡忍寺は、ご法難の際に大聖人をお守りし殉教した弟子鏡忍房と工藤吉隆を弔う寺。ここでの縁起話は、まさにその当時をほうふつさせる語り口調で感銘を受けながら聞き入りました。鏡忍寺を後に次に参詣しましたのが妙蓮寺。この寺では、大聖人の御尊父妙日尊儀(貫名次郎重忠公)、御尊母妙蓮尼(梅菊御前)を弔う寺で、御両親の墓場を祀る御廟堂が建立されていました。宗祖自ら御両親の法号を冠して妙日山妙蓮寺と命号されたという事です。次に妙蓮寺を後に誕生寺へ参詣し、御開帳を受けました。誕生寺は、大聖人の御誕生と母梅菊の蘇生延寿を記念して弟子の寂日房日家上人が建治二年(一二七六年)に建立されたもの。参詣後、二日目の宿、ニュー小湊ホテル吉夢へ移動、宿泊。

三十一日の三日目。この日は、朝から雪まじりの雨が降って大変寒い日となりましたが、小湊を後に今回最後の参拝の寺院、東京葛飾は、寅さんで有名な柴又帝釈天、題経寺へ出発しました。到着後御開帳を受け、本尊は大聖人が自刻したと伝えられる帝釈天を描いた板で、御開帳を受け目のあたりに拝む事が出来ました。又特筆するべき事は、帝釈堂の随所に施された数々の彫刻の素晴らしさと、おしげもなく使用されているけやきの木材多さには感嘆させられました。以上二泊三日の日程全てが終了し羽田空港へと向い、佐賀へと帰路に着きました。

平成12年4月15日

立教開宗七五〇年慶讃 佐賀県護法 松尾山大会

去る四月十五日(土)、十六日(日)の二日間に渡り鎮西本山松尾山光勝寺に於いて立教開宗七五〇年慶讃佐賀県護法松尾山大会が執り行われ、両日延べ千人余りの檀信徒の方々が参詣されました。

大会初日は、あいにくの雨模様でありましたが、大降りになる事もなく予定通りの法要開始となりました。一日目は、光勝寺の檀家の方々をはじめ伊万里・有田地区、小城・三日月地区の檀信徒およそ五百人余りの参詣がありました。

午前十時三十分、光勝寺総代の古川秀次氏の開会宣言が行なわれ、音楽大法要の開始となりました。大導師に松尾山光勝寺貫首田中日学猊下を仰ぎ、副導師に日蓮宗佐賀県宗務所小寺大誠所長、日蓮宗大分県宗務所長並鎮西本山光勝寺参与平田泰啓僧正、同じく参与加藤智顕僧正、塔中寺院教仙寺山主亀川学俊僧正が勤め式衆に聲明師会、青年会、伶倫に青年会雅楽部があたり厳かに執り行われ、一時間二十分に及ぶ感動あふれる素晴しい大法要となりました。

貫首長下は、表白文の中で鎮西発軫の根本道場として、光勝寺の歴史の重さを踏まえ開山日祐上人以来日親聖人等歴代の偉業威徳を称えられました。又、楼門修復をはじめとした境内整備の慶讃事業を奉告し、事業に丹精なされた檀信徒の方々に対し感謝の気持ちを述べられました。

この度の法要では、「礼講法要」という事で三つの問いに対しそれぞれに答えていくという問答形式を取り入れた格式高い法要となりました。その問いと申しますのは、松尾山光勝寺の創建の由来から、どの様な布教活動を行なって来たのかを問うもので鎮西発軫としての歴史をあらためて感じさせられました。

又、法要終了後田中貫首猊下が、この日の為にご準備された記念の玄題旗を、各寺院に配られ、代表で小城妙厳寺筆頭総代 牧瀬厳男氏へ、貫首猊下より直々に手渡されました。

昼食をはさんで午後十二時四十分より県内寺庭婦人と小城地区檀信徒計三十八名による法華和讃の奉納があり、一糸乱れぬ息のあった太鼓の音、和讃の声に檀信徒の皆様は聞き入っていました。

和讃の後は、本村宗務担当事務長導師のもと青年会の団扇太鼓の響く中、唱題行を十分間修行、そして午後一時より静岡県中部布教師会々長日蓮宗常任布教師平野譲山僧正による高座説教があり、お題目の有難さを分かり易くお話し下さいました。

以上が一日目の日程でありましたが、非常に感激深い法要となり、参加の檀信徒の方々も口々にお参りしてよかったと感想をもらしておられました。

二目目の日程も一日目と同様に行なわれましたが、天候は昨日と違い、素晴しく晴れ渡り絶好の日和となり佐賀地区、唐津・多久・杵藤地区の檀信徒五百人余りが参加、法要に於いては、大導師に宗務所小寺大誠所長を仰ぎ、副導師には協議員議長、辻泰誠上人、宗務所宗務担当事務長 本村孝弘上人、布教師会会長 静山是秀上人、協議員副議長 鶴孝澄上人が勤められ、厳粛に営まれました。

法要終了後、修法師により御宝前修法と大衆法楽加持がなされ、立正平和の祈念と檀信徒の信力増進の祈念が行なわれました。

そして、一日目と同様玄題旗が授与され、代表して多久市湧泉寺筆頭総代上野保雄氏が受け取りました。法華和讃奉納と唱題行と続き、最後に今回の大会をしめくくる高座説教が行なわれ、東京都大田区一華結社教導、日蓮宗専任布教師 戸沢宗充法尼が講師を勤め、女性の優しい口調で説法し聴衆の共感を呼び、さらには琵琶を奏でながらの日蓮大聖人のご一代記は感動的で涙する人もあり、お題目をお唱えする事の尊さをしみじみと教えて頂きました。

私達は、今回の松尾山大会を立教開宗七五〇年に向けての貴重な体験とし、一層のお題目信仰に精進して行かなくてはなりません。

佐賀県護法松尾山大会

その法要の意義について

去る四月十五日、十六日に開催された佐賀県護法松尾山大会に於て『鎮西発軫法華根本道場顕彰 礼講法要』と称する法要が営まれましたが、その意義・内容について説明をいたしたいと存じます。

この「礼講法要」とは、平安時代に伝教大師がはじめられた「法華八講」、「法華十講」などの法要があり、これを「論義」といいます。「論義」とは若い僧(問者)が、学徳すぐれた高僧(講師)に問いを発して教えを請うという法要形式のひとつであります。

日蓮宗では日蓮聖人が「法華八講」等を行なっておられましたが、日蓮聖人の第四百遠忌の折に身延山や池上で「法華八講」や「御書礼講」が行なわれたという記録があるようです。また近年では日蓮聖人第七百遠忌に池上本門寺で「法華経礼講」「御書礼講」が営まれました。

今回の「礼讃法要」の発端は昨年の四月二十日に千葉、中山法華経寺において宗門法要として『常修院日常上人第七百遠忌報恩御書礼講法要』が営まれましたが、この法要に列席された松尾山光勝寺貫首、田中日学猊下の発案でこの「礼講法要」を行う事となりました。

管内聲明師会において企画し、日蓮宗聲明師会、早水日秀聲明導師の助言、指導の下に『鎮西発軫法華根本道場顕彰礼講法要』が完成したのであります。

この法要の主旨は松尾山光勝寺が九州(鎮西)に於ける最初の法華経道場として建立された由来について答釈が行なわれ、その後いかなる布教が行なわれたか、さらに今後我々弟子信徒はいかなる信仰が必要であるかというものです。

では法要の内容について四月十五日の法要で御紹介申しましょう。

「講讃文」(講師)

本日の吉辰を卜して修し奉る宗祖日蓮大聖人立教開宗七百五十年慶讃大法要に於いて、謹んで講讃し奉る鎮西発軫の根本道場、松尾山光勝寺の縁起、仰も當山は今を遡ること六百八十三年、則ち花園天皇の御字、文保元年二月八日、千葉大隅守胤貞公の寄進建立せられたる寺にして、大本山中山法華経寺第三世浄行院日祐上人御開山なり。爾来歴世を重ねて本日ここに第六十二世現薫、田中日学貫首猊下、一山の大衆、随喜の諸大徳、県内外有縁の檀信徒と共に、宗祖日蓮大聖人立教開宗七百五十年慶讃大法要を営み、以って報恩の塵滴に擬し奉り、併せて御開山日祐上人巳来歴代先師諸上人の法功を讃嘆し奉る者なり。仰ぎ願わくは宗祖日蓮大聖人・當山歴代諸上人悉知照鑑を垂れ給え。

南無妙法蓮華経

「発問一」  (問者)

當山は、鎮西発軫の根本道場、則ち九州に於ける法華経弘通の法城として初めて創建されし御寺なりと聞けり。その由来や如何。願わくはこれを教示し給え。

「答釈一」  (講師)

肥前の国小城は中山法華経寺大檀越、大隅守千葉胤貴公が所領なり。胤貴公はこの地に法華道場建立を発願し、中山法華経寺第二世日高上人をして弟子日厳を九州に於ける宗門弘通の魁として当地に派遣す。日厳上人千葉胤貞公の篤き外護の下、法華経弘通拠点の基礎を創り給う。

今を去る六百八十三年、宗祖日蓮大聖人ご入滅の後三十五年、即ち文保元年二月八日、法華経寺第三世浄行院日祐上人を請じて開山と仰ぎ松尾山光勝寺を創建し、以て九州に於ける法華経弘通根本道場となせり。依ってこれ以後當山を鎮西発軫の根本道場と位置付け教線大いに発展を遂げたり。

南無妙法蓮華経

「発問二」  (問者)

大本山中山法華経寺と松尾山光勝寺との深き縁は粗これを領解することを得たり。而して、御開山日祐上人を首め歴代先師上人は此の地に於て如何なる布教活動を為し給いしや。願くは、これを教示し給え。

「答釈二」  (講師)

中山法華経寺第三世、光勝寺開山日祐上人は法華経弘通のため西海総導師として智観房日貞上人を差し向けるに当り「当家法門目安」を書き与え、乱れたる末法の世を救うに最もふさわしき教えは法華経なり、宗祖日蓮大聖人の厳格なる信仰を弘むべしとの心得を教示したまえり。日貞上人は千葉氏の被護のもと小城・三日月に大いに教線を張れり。開創以来十四世迄は中山法華経寺と両山一寺の制度により住職は中山法華経寺の貫首の兼務なり。

時流れて永享五年、光勝寺十五世に至り初の住職として「九州の総導師」久遠成院日親上人、即ち「鍋かむり日親上人」この地に赴き、舌端火を吐くが如き激しき布教を展開し、その為に法難を招けども「身軽法重・死身弘法」の身命を惜しまざる御化導により、九州各地に多くの寺院を建立せり。

今、九州の法華経信仰の盛んなるは実に上人の行功なり。我等同門の末流は先師諸上人の鴻恩を忘るる事なく報恩の行を修すべきなり。

南無妙法蓮華経

「発問三」  (問者)

御開山日祐上人巳来歴代の先師先聖、大法弘通の為に身命を惜しまざる御化導の行功を具さに聴聞することを得て感激新たなり。

時なる哉、宗門は平成十四年に立教開宗七百五十年慶讃の嘉辰を迎う。我等日蓮大聖人の弟子信徒は、この千載一遇の好期に臨み、何を以てか本佛釈尊・宗祖日蓮大聖人の鴻恩に報いるべきや。願くは、これを教示し給え。

「答釈三」  (講師)

宗祖日蓮大聖人「開目抄」に曰く、「我日本の柱とならん、我日本の眼目とならん、我日本の大船とならん」と云々。

釈尊出世の本懐は浄仏国土の顕現にあり、日蓮大聖人御生涯の誓願は立正安国の実現にあり。ゆえに釈尊は、久遠実成を顕発して常住不滅の本土を説き給い、日蓮大聖人は題目受持に本時の娑婆世界を感得し給えり。

平成十四年、立教開宗七百五十年の嘉辰を迎えるに当り、我等日蓮大聖人の弟子信徒は、松尾山開山日祐上人以来御歴代の先師、殊には中興日親上人の不惜身命の化導を鑑として、浄仏国土の実現のためお題目修行に邁進し、法城護持に精進し奉らん。

これ即ち本仏釈尊、宗祖日蓮大聖人への報恩謝徳なり。

南無妙法蓮華経

「誓願」  (問者)

我等いま、百千万却を経るとも遇い難き法華経の法筵に遇い奉り、九州に於ける妙法広布最初の法城たる當山の由来、歴代上人愛山護法の熱情と、その淵源たる宗祖日蓮大聖人立教開宗の大誓願について御教示をたまわり、いよいよ法華経信仰・法城護持に精進せんことを誓い、参集の人々諸共にお自我偈を読誦し、御題目を唱え奉らん。

以上の内容の発問答釈を行いました。当日参加の皆様にはこの文章によって詳しく御理解頂けたものと存じます。

《一日目 平野譲山僧正のお説教》

私は、「皆さん最高ですか。」で有名になりました某宗教団体本部が置かれている静岡県富士市に住んでおります法藏寺住職平野譲山と申します。

人はその心持ちによって受け取り方が違ってきます。例えば「欲しいねとも、もういいやとも、雨は何もいわないが。」ということばがあります。同じ雨でも降ることを願う人、降らないことを願う人ということです。この高座とはお釈迦様、お祖師様の説法の姿を表現したものであります。皆様の心持ちで話を受け取って下さい。

昭和五十八年当県嬉野において、お題目によって救われました。是非お礼に身延山でお題目を唱えたいと言う人に出会いました。その方は念願かなって身延山でお題目を唱える事ができました。一方、私は身延に近い静岡県に住んでいますが、お祖師様の手紙ではありませんが「道の程近く候へども心は遠し」の心境です。

宗門では今、立教開宗慶讃お題目写経を進めています。お題目の写経をしその横に祈願を書き身延山の宝塔に納めます。皆様のお題目と願いが身延のお祖様の下に届くです。

私たち人間は必ず死を迎えるわけですが、世の中にはポックリ寺と称しポックリ死ねる様にとの祈願をする人がいます。しかしながら私たちはお釈迦様がお説きになった生老病死から逃れる事は出来ません。私の母は五十八歳で脳梗塞にかかりお題目を唱えることが出来なくなりました。この娑婆を去る時に臨終正念のお題目を唱えたい、しかし自分では唱える事が出来ない、では代りに私がお題目を唱えましょうと、お題目を聞きつつ臨終を迎える事ができました。

お釈迦様は「是好良薬、今留在此」と説かれ、日蓮大聖人はこの良薬を南無妙法蓮華経のお題目で示されました。平成十四年あと二年で宗祖立教開宗七五〇年を迎えます。お祖師様の願いを我が願いとしてお題目をお唱えし平成十四年をお迎えいたしましょう。

《二日目 戸沢宗充法尼のお説教》

私は、東京大田区一華結社教導の戸沢宗充でございます。

昨年は、コンピューターの二千年問題で騒がれました。

しかし二千年とは西暦であらわしたものであり仏教徒である私共としては仏暦では二千六百五十九年であります。現在、私共は諸外国の人達から見れば雑乱信仰そのものであります。

ところで私にとっては皆様も感じられているとは思いますが、今世紀は戦争の世紀であると思います。

この暗い戦争を契機に日本は何かを忘れて金儲け主義にはしり経済大国となりました。その中で人としての心を忘れてしまい多くの悲惨な事件などを作り上げ不安定な時代を作り上げてしまいました。

法華経の如来寿量品第十六には「放逸にして五欲に著し、悪道の中に堕ちなん」と説かれております通り、欲に溺れた人々は悪道(地獄、餓鬼、畜生)の中に落ちた状態そのものが日本の現在の世の中です。

この世の中から脱する為には、本当の豊かさとは何か、一人一人が気づくには正しい宗教のお教えを学ぶ事が必要です。正しい宗教とは、本当の生きがいを求め、どう生きたらいいのかを問い、本来の宗教の目的を実践するものであります。

お釈迦様は、「人生は苦である」と申されております。その苦とは「四苦八苦」の事であります。「生・老・病・死」は、皆様平等に与えられた苦であり避けられない苦であります。

しかし、本当にお釈迦様がお説きになりたかったのは「愛別離苦」・「怨憎会苦」・「求不得苦」・「五陰盛苦」の人として避けられない苦であります。

世の中は「四苦八苦」の時代ですが、欲望のまま生きるのではなく「お蔭様」でと言う感謝の気持ちを忘れず、永遠の仏様であるお釈迦様がお説きになられた法華経にふれる事によって欲望にとらわれず心を浄化し心を養うよう努力しなくてはなりません。

仏様は、我々衆生を仏の子として見られております。だからこそ、私共は仏様に感謝の意味をこめ日蓮大聖人の「立正安国」を目指し、お題目修行に、日々精進して参りましょう。

平成11年3月30日

平成十一年三月三十日、「立教開宗七五〇年慶讃九州教区大会」が開催されます

日蓮大聖人が、はじめて「南無妙法蓮華経」とお唱えになられたのは、建長五年(一二五三)四月二十八日、千葉県安房郡天津小湊にある本山清澄寺の旭ヶ森の山頂でした。太平洋の彼方より暁闇をやぶってさし上る朝日に向てお題目を十返お唱えになられました。これを日蓮宗では「立教開宗」と申します。

以来、大聖人は一生をかけて衆生を教済せんと、お題目を広めてこられました。大聖人の願いは、多くのお弟子や、信者達によって今日まで唱え継がれて参りました。そして、今まさに立教開宗七五〇年の慶事を迎えようとしています。私達は、このお題目の歴史の重みをかみしめ、今日有り難くもお唱え出来る喜びを忘れてはなりません。

昨今、同じお題目をお唱えしながら人々に不安と迷いを与えている新興宗教が数多くあります。私達日蓮宗の宗徒は、立教開宗七五〇年を迎える今こそ、日蓮大聖人以来綿々と唱えられた本当のお題目を伝えていく大きな義務があります。

大聖人のお言葉に「地涌の菩薩の出現に非ずんば唱えがたき題目也」、「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし、体曲がれば影ななめなり」とございます様に私達は末法の世の中の今、幸いにも値い難き法華経に結縁を頂き、唱題の喜びを味わう事が出来、本当に感謝の念にたえません。少しでも誤った心でお題目をお唱えしますと、大きな罪を作ってしまうのだと戒めておられます。

さて、この度の慶事に向い、日蓮宗では、「誓願」というテーマで、本当のお題目をお唱えする為には、どの様な事を実践していったらよいのかを皆様と一緒に考えて参りたいのです。

「誓願」と一口に申しても色々な事がありますが、日蓮大聖人の誓願は、「我れ日本の柱とならん、我れ日本の眼目とならん、我れ日本の大船とならん」という誓いでございました。まさに我々衆生を救済せんが為の大きな決意であります。

そして、私達の誓願とは、正しいお題目を唱え弘め、お釈迦様の真髄の教えである法華経を受持し、この地上に平和な仏国土を建設する努力を行う事であります。その為には、人々が互いを拝み合い感謝の心を持てる人格を形成していく事が必要であります。

法華経の教えの中に「如来使」というものがあります。法華経、お題目を受持する者は、僧俗の区別なく如来の使いであり、お釈迦様のお使いの役を全する使命があるのです。

九州教区では来る三月三十日、グランメッセ熊本を会場に各地より五千名もの檀信徒が集い、去る平成九年五月二十八日中央大会に於いて分灯されました「誓願の燈」を中心に、改めて大聖人がお唱えされた「南無妙法蓮華経」のお題目を共に唱え、「如来使」の自覚を高めたいものです。

平成10年10月3日

お題目総弘通運動 「唐津大会」

平成9年11月16日

日蓮宗佐賀県青年会結成四十周年記念インド仏跡参拝報告

日蓮宗佐賀県青年会会長

佐賀市 國相寺住職

松島正英

この度、日蓮宗佐賀県青年会結成四十周年記念事業と致しましてインド仏跡参拝を企画し、昨年の十一月十六日〜二十七日に至る十二日間、参加団員二十九名、インドに渡り、お釈迦様の縁の地を巡拝して参りました。

慈眼六号七号八号に於いてお釈迦様の特集を組み、ご誕生から涅槃までの、ご一生をご紹介致しましたが、私達一行は、そのお釈迦様のご一生を実際に自分の眼で見、肌で感じて感動を覚え帰って参りました。今号では、その体験の一端をご報告したいと思います。紙面の都合で十一月二十三日までの仏跡のみご報告させて頂きます。

十一月十六日

午後十二時十分、福岡国際空港をインドに向けて出発。

バンコクを経由し、インド現地時間午後十時二十三分に到着致しました。日本とは時差が三時間あり、日本では、既に翌日の午前一時半頃にあたり、初日から強行軍でありました。

十一月十七日

デリーから国内線でパトナへ移動し、バスに乗りかえ、お釈迦様最後のご説法の地ヴァイシャリへ向かいました。この地には、お釈迦様に水を供養する為に猿が池を掘ったという池があり、又お釈迦様十人弟子のお一人の多聞第一と言われた阿難尊者のストゥーパ(お墓)が一緒にお祀りされていました。参拝後霊鷲山のあるラジギールへ移動。

十一月十八日

早朝よりホテルを出発し、今回の団参の目的の一つでありました霊鷲山参拝へと向かいました。霊鷲山は、山というより丘と表現した方がよい程、思ったより低いお山でございました。麓より約二十分位で山頂に着きます。団員の皆さんは、団扇太鼓に合わせお題目を唱えながら、一歩一歩感激を踏みしめ登詣されていました。山頂に着くと香堂(お釈迦様が当時、お説法でお使いになったお堂)跡があり、高さ五、六十センチの高さのレンガで囲まれ、そこには、供物や線香などがご供養されていました。私達は、その香堂遺構を前にして「法華経結縁報恩感謝の法要」を五十分程営みました。お経の流れる中、団員の方々は、今自分が三千年前にお釈迦様が、この霊鷲山に於いて真実の法華経をお説きになられたこの地で額づき礼拝させて頂いているのだと思われた時、感慨無量のお気持ちになり感激を新たにしておられました。法要が終わる頃には、太陽も随分昇り、朝日を拝む事が出来ました。法要が終わり下山をし、その後は、お釈迦様に帰依をされたマガダ国の王、ビンビサーラ王牢獄跡、竹林精舎を見学しました。又当日は、五世紀に創建された全アジアの仏教研究、教学の中心でありました古代インドの仏教大学、ナーランダ大学跡を見学。ここは、東西二五〇メートル、南北六〇〇メートルに及ぶ壮大さで、十二世紀にイスラム教徒に破壊されました。玄奘三蔵が滞在された七世紀には一万人もの学僧がここに住んでいたそうです。又興味深い事が、大学跡奥には、智慧第一と言われました舎利弗尊者のストゥーパがあり、この跡地に舎利弗尊者が祀ってある事もうなずけました。この日は、ブッダガヤで宿泊。

十一月十九日

お釈迦様がお悟りをひらかれ成道された地がブッダガヤであり、仏教に於ける最も重要な聖地であります。お釈迦様は、菩提樹の下でお悟りをひらかれましたが、そこにはその菩提樹と台座(今剛宝座)を祀る大菩提寺というお寺があります。俗にブッダガヤの大塔とも呼ばれ、高さが五十二メートルもある塔が建てられており、最初の祀堂が紀元前三世紀のアショーカ王の頃に建てられ、現在の形になったのは、ほぼ四世紀以降の事だと言われています。私達一行は、その大菩提寺の西側にある菩提樹の木と禅定された金剛宝座の所で一読し、偉大なるお悟りに報恩のご回向を申し上げました。菩提樹の木は、さすがに三千年の歴史を感じ堂々としており、金剛宝座にはきれいな花が供養されていました。ここでの感激も一入でございました。

ブッダガヤ参拝後、お釈迦様が成道される前、前正覚山という山で六年回苦行をなされ、その修行の後、尼連禅河という河で沐浴をなされましたが、その尼連禅河を見学。そこは清らかで川幅も大きい河で砂もきれいで海辺を想像させる様でした。この後、次の目的地ガンジス河が流れるベナレスに向かいました。

十一月二十日

早朝よりホテルを出発し、ガンジス河に向かいました。到着し二船に分乗し、今回のもう一つの目的のガンジス河での「船上施餓鬼法要」を営む為に準備にとりかかりました。皆様よりお申し込み頂きました追善散華も千六百体を越え、沢山のお申し込みに心より感謝しております。法要が始まり、お題目と共にまかれる散華は、濁れるガンジス河の水に色鮮やかに浮かび、幻想的な雰囲気の中で厳しゅくに営まれました。団員の方々も涙ながらに「こんなに有難い供養は初めてでした」と大変感動されていました。ガンジス河での法要が終わり、次なる聖地、お釈迦様が初めて法を説かれたという初転法輪の地、サルナートに向かいました。この地は鹿野苑とも言われており昔は鹿が沢山いたそうです。ここは成道なされる前にに苦行を共にした五人の比丘に成道後初めて法を説かれたという地ですが、その説法の場所はきれいに整備され公園化してあります。

十一月二十一日

この日は、ベナレスからお釈迦様がご入滅なされたクシナガラへの移動となり、長時間のバスの旅となりました。午後二時頃クシナガラに到着し、涅槃なされた場所へ参拝。そこには涅槃寺と言われるお堂があり、その中に十メートルをこす大きな金色の涅槃像が横たわっていました。涅槃像をお参りし、お堂を出て裏の方へ回りました。お堂のすぐ裏には、お釈迦様のレンガ造りのストゥーパが建っており、厳密に言いますとそのストゥーパの所でお釈迦様は涅槃されたとの事でした。そして又、我々が驚いたのは、お釈迦様のストゥーパの横に何と提婆達多のストゥーパが祀ってあった事です。提婆品の中で罪深い提婆でしたが、お釈迦様は提婆こそ私の師匠であり、提婆がいたればこそ自分は成仏出来たのだと説かれておられます様に、その教えそのもの通りにお釈迦様の隣に祀ってある事に感激を覚えました。

十一月二十二日

クシナガラからお釈迦様の誕生の地ルンビニーへ向かいました。到着後マヤ堂と言われる小さなお堂に入り、お釈迦様がお産れになった場所に眼を向けますと、金色の小さな誕生仏の像が安置してありました。そして、マヤ堂の近くに出産されて産湯を使われたという池もありました。

十一月二十三日

ルンビニーからお釈迦様が出家されたというカピラ城があるバルランプールへ向かいました。大平原の中にカピラ城はありましたが、お城の遺構の他に本当のお釈迦様の舎利があったというストゥーパもありました。しかし、カピラ城は、ネパールにもあるという事で今現在どちらが本当なのか結論は出ていないそうです。この後、お釈迦様が信者から寄進を受けた修行の道場、祇園精舎跡に参拝。ここもきれいに整備され、緑の中にあるのどかな所で、お釈迦様がお住まいになったという香堂跡に参拝した時には、お釈迦様の息遣いが聞こえてくる様でした。

おわりに

以上がインドの仏跡のみのご報告です。

まだまだお伝えしたい感動も沢山あるのですが、紙面の都合でほんの一部しか語られず残念に思います。

しかし、今回のインド団参は生涯忘れる事の出来ない素晴しいものになりました。やはり実際に行って参りますと一層お釈迦様を身近に感じる事が出来、自分自身が仏教徒であり、しかも法華経に結縁を受けさせて頂いている事の有り難さに唯々感謝せざるにはおられませんでした。その中でも霊鷲山に参拝させて頂いた感激は何ものにも代えられません。この度は、団員の皆様、県内外のご寺院様や檀信徒のご協力ご支援を頂き無事に円成出来ました事、この紙面をおかりし心より御礼申し上げます。

平成9年5月28日

"誓願の燈、全国へ"

「中央大会 発願の集い」

五月二十八日、横浜アリーナにて立教開宗七百五十年へ向けた「中央大会−発願の集い−」が、全国より一万三千人の檀信徒を集め、岩間湛正宗務副総長の開会宣言により厳修された。

全国より選ばれた和讃講中二千五百人(県内より二十人)による和讃奉修にはじまり、田中日淳管長猊下を先頭に百人の式衆が入場し大法要が開式、読経に入り田中管長猊下が、「立教開宗七百五十年に向かい、日蓮大聖人の誓願を受け継ぎ、強盛なる菩提心をおこして法華経・お題目を一心に唱え弘めん。我等一同信行修行に励み、社会の平和と人類の幸福に尽さん……」との慶讃文を奉読され、続いて三百人の修法師による加持祈祷が行われた。その後中央壇上ご本尊に向かい各教区檀信徒代表が一人ずつ各々の想いを日蓮聖人に誓い、九州教区代表、小野敏昭氏も「親から子へ家庭信行を更に充実させたい…」との発願宣言を行った。そして二百余名の青年僧行脚隊が会場に響きわたる力強い太鼓とお題目の声高らかに入場し会場一体となった唱題が続いた。最後に日蓮大聖人、立教開宗の誓願を受け継ぎ、更に広く伝える証として「誓願の燈」とお題目の旗が各管区代表の青年僧に手渡され、感動のフィナーレを迎えた。

全国各地より集まった一万三千人の檀信徒(佐賀からも百二十人が参加)は、深い感銘を胸に更なる信心増進と、お題目の広宣流布を誓った。

お題目総弘通運動 「佐賀大会」

立教開宗750年慶讃「日蓮宗中央大会」

発願の集い

とき 平成9年5月28日(水)

ところ 神奈川県(横浜アリーナ)

“後日県内各寺院を通じて参加者募集”

平成7年度、日蓮宗大荒行を成満される県内のお上人さまの帰山式日程は次の通りです

二月十六日(金)等覚寺修徒

第再行小寺成文上人

十七日(土)妙誓寺修徒

第再行古賀敬紹上人

十八日(日)國相寺修徒

第再々行松島正英上人

十九日(月)勝妙寺修徒

第初行松島正龍上人

二十日(火)泰平寺修徒

第初行大平貫脩上人

二十一日(水)本長寺修徒

第参行辻雅英上人

二十二日(木)妙玉寺修徒

第初行石井智康上人

平成7年4月12日

命(ヌチ)ぞ寳

──あなたのことは忘れない

日蓮宗(奥邨正寛宗務総長)では、第二次世界大戦が終結して五十年を期して平成五年十月三十一日に広島で、平成六年五月十日に長崎で、それぞれ宗門法要を厳修してきた。

この法要の締め括りとして四月十二日沖縄県宜野湾市・沖縄コンベンションセンターでお題目総弘終戦五十周年沖縄宗門法要「命ぞ寳──あなたのことは忘れない」を行い、全国から六千五百人の僧侶と檀信徒が参集した。

佐賀県宗務所でも当初百二十名の団員募集計画を大幅に変更し、僧侶三十名(法要関係二十五名)檀信徒百七十七名総勢二百七名が参加した。

今回の法要は、沖縄で最も収容人員が多い会場で行われたが、収容能力をはるかに上回る参加者が全国から集まったため、午前は九州教区、午後はその他の全教区に分けて営まれた。

佐賀県は十日午前六時に佐賀駅バスターミナルを出発。午前十一時三十分青く輝くサンゴ礁に囲まれた沖縄那覇空港に着陸、早速南部戦跡慰霊の旅へバスを連ねた。

海軍指令濠では心凍る戦慄に思わず合掌・ひめゆりの塔では散華した少女達の御霊に香華を供養し、涙を拭い摩文仁が丘・はがくれの塔では県内戦死者二万数千名の英霊に全員で法華経を読誦し、お題目を唱え、参拝団員を代表し護法常任委員 牧瀬厳男氏が献華を行った。

四月十二日南国の美しい青空下九州教区の参拝団員は、宿舎を後に午前十時に会場に集合した。

永井祥文実行委員長による開会宣言の後、各実行委員を先頭に行脚隊・伝導隊約百名が団扇太鼓を会場にこだまさせ入場した。続いて日蓮宗佐賀県青年会雅楽部の雅楽吹奏の中、岩間日雄管長猊下が宗務院内局の各部長の先導で登壇され「沖縄では八十予日にわたり一日数千発の弾丸が撃ち込まれ、山河の形がかわるほどの激戦を繰り広げました。お釈迦さまは勝つ者は恨みを招き、敗れたる者は苦しみを増す、そのいずれをも離れたるものは心安らかにして幸いなりと教えられています。戦いつつ戦火の治まることを命がけで求めた皆様のご心労を思うと、霊を慰める道はその無念をはらうことではなく、祈り求めた平和をこの地上に築き上げるように努めることです。戦没者へのご冥福を心からお祈りいたしましょう」とお示しになった。

法要は奥邨正寛宗務総長を導師におこなわれ、全ての行事は感動の渦の中で終了した。

法要を通して参加者全員、心を一つに立正平和を祈念し、お題目の輪を世界に広めることを誓い合った。

平成6年11月27日

戦没者五十回忌

平和を誓う

澄みきった晩秋の空がまぶしい、平成6年11月27日、宗務所・護法護持会主催により武雄市文化会館に約1500人の僧侶、檀信徒が集い、「護法大会・お題目総弘通運動佐賀県武雄大会」が開催されました。

午前10時から第1部、護法の祈りとして、佐賀県内の寺庭婦人会(手島多美江会長)による法華和讃奉納に始まり、続いて修法師による力強い御宝前修法が厳修され道場を清めました。

午前10時20分第2部、「太平洋戦死病没戦災殉難者第五十回忌法要」が、林孝隆宗務所長を大導師に、声明師会の式衆並びに青年会雅楽部出座のもと、厳粛に営まれ、つづいて午前11時半から第3部、静岡県富士市法蔵寺の平野譲山師が「闇から光明へ」と題して講演があり、参加者は日蓮宗の願いである立正安国を目指さなければならないことを確認しました。

昼食を挟んで午後1時半から第4部清興が行われ、県内の寺庭婦人によるコーラス、舞踊、大正琴を披露しました。寺庭婦人たちは、今大会に備え半年前より猛練習を積み重ねてきており、その成果を十分に発揮しました。

午後3時、宗務所長を始め県内寺庭婦人、武雄・杵藤地区檀信徒がステージに上り、青年会行脚隊と共に会場も割れんばかりの唱題行、お題目の声が響きわたりました。

今後尚一層のお題目信仰に精進する事を誓いあう檀信徒の姿を見て、心歓喜する思いでありました。

平成6年4月16日(土)

鎮西本山 松尾山 光勝寺

六十一世 黒田秀明猊下 退隠式

六十二世 田中学貞猊下 晋山式