(1637年)
寛永14年当寺の開基は明教院日運上人で、島原の乱に敗れ、当地に住し草案を建て、友の霊を葬る。その後17歳で出家し、元禄7年3月6日74歳で遷化す。生涯、34,037部の法華経転読を成就し、当世読誦第一の沙門として法印大僧都の栄誉を受けた。
(1672年)
寛文12年、鍋島家藩主松平丹後守藤原光茂朝臣建立の万部堂は本堂正面右手にあり、鬼小母尊神、三十番神、御開山上人像などが安置されている。尚、当山守護の摩利支天が勧請ありしと云うも、その特異性から常にその形を隠し、除災得幸、破邪顕正の利生をあらわすと云うことから、特に尊像としては祀られていない。本堂御本尊一塔両尊四士 合掌印 (祖像)読経像。 |